一橋大学 HIT MAGAZINE

■ Bridging the World

「カタールと日本の架け橋として」
株式会社三菱東京UFJ銀行 伊勢田兼之さん

iseda3「Bridging the World」では、世界に羽ばたく商学部卒業生の「今」と「これから」をお伝えします。今回ご登場いただく方は、株式会社三菱東京UFJ銀行の伊勢田兼之さんです。伊勢田さんは、中東・カタールの首都ドーハにあるドーハ出張所長を務められています。
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◆一橋大学商学部に入学された経緯を教えて下さい。

大学では、その分野のトップ・スクールで学びたいと考えていました。特に経営学に興味を持っていたので、私立大学も含めて考えて、最終的に一橋大学の商学部に決めました。
一橋大学を選んだのはCaptains of Industryという言葉につきます。偉大な経営者を数多く輩出してきた大学を象徴する言葉として認識していました。

大学時代は、何に力を入れていましたか。

高校時代は水泳部に所属していて、先輩に大変お世話になったこともあり、夏の間はほぼ毎日高校のプールに出かけ、朝から夕方まで後輩の練習を見ていました。
しかし、さすがに高校生の面倒を見ているだけで、自分が何もしないという訳にもいかないと思ったので、冬の間活動できるスポーツとしてスキーのサークルに入りました。
スキーはお金がかかるため、結局、スイミングスクールのコーチのバイトなどをしていました。

その一方で、大学での勉強を疎かにしていた訳ではありません。
特に、一橋大学の伝統であるゼミではしっかり勉強したかったので、当時は入るのも、入ってからの勉強も大変だと言われていた榊原清則先生(現・中央大学教授)のゼミを選びました。榊原ゼミは、勉強だけでなく、ゼミ以外の活動も活発でしたし、ゼミで学んでいた経営学の勉強は真面目にしていたと思います。
学期中はゼミなどで時間をとられて、休みのときは、スキーのためのアルバイトに忙しく、大学の講義がない時期に海外旅行などに出かける友人がうらやましく思っていました。
それならば留学してやろうと準備していた時期もありますが、結局忙しくて断念してしまいました。

◆その力を入れていたゼミで印象に残っていることがあれば、教えて下さい。

ホファー(C. Hofer)とシェンデル(D. Schendel)という人が書いたStrategy Formulationという本です。内容をどこまで理解できていたのかは、今となっては怪しいものですが、「経営学を学んでいる」という気分になって、とにかく嬉しかったです。この本をベースにゼミが進んでいきました。
経営史家のアルフレッド・チャンドラー(Alfred Chandler)の「組織は戦略に従う (structure follows strategy)」という有名な命題も、記憶に残っています。
企業で現実の世界と格闘していても、戦略に合った組織を作りたくとも、現状のスタッフの制約があったりします。スタッフに合わせて戦略を考えるわけにもいかないことは明白で、戦略と陣容の間を埋める戦術が噛み合って、はじめて戦略を実行できるのかなと思う毎日です。また、それが経営なのかなとも思っています。

ゼミでは勉強ばかりしていたわけではなく、課外活動も活発でした。
3年生のときには韓国に、4年生のときには台湾に、ゼミで工場見学に行きましたし、三商大ゼミで神戸大学に行ったり、当時開催されていたゼミ対抗ソフトボール大会では、優勝もしました。
卒業して20年以上経つわけですが、ゼミテンとの出会いは、今でも貴重な財産です。

(注:一橋大学では、ゼミナールに所属する学生のことを「ゼミテン」と呼びます。ドイツ語の”Seminaristen”が語源とされます。)

◆卒業後に、どのような経緯で現在お勤めの銀行に入社されたのですか。

経営学を学んでいると、外国企業のビジネスモデルに触れることが多いので、海外で働いてみたいという漠然とした思いを抱くようになり、どんな職業だったら海外で働けるのかを考えていました。

そんなときに、ジェフリー・アーチャ-の「ケインとアベル」というドラマをテレビで見る機会がありました。
ご存じの方がいるかもしれませんが、主人公のケインは銀行家、アベルは不動産王です。
この二人の数奇な運命の物語の影響を受けてか、海外志向でありながら、なぜか不動産会社が第一志望になり、精力的に不動産会社を訪問しました。
最終的には、不動産会社か、銀行かという選択を迫られました。悩んだ結果、「銀行なら不動産、海外のどちらも携われるかな」と判断して、現在の会社を就職先として選びました。

◆銀行に入ってからは、どのような仕事をされてきたのですか。

先程お話ししたように、海外で仕事がしたい気持ちと、不動産の仕事をしたい気持ちがない交ぜのまま入行した訳ですが、営業拠点で、4年ほど融資・外為と営業の仕事をしました。
最初は、何をやっても間違いや失敗だらけで、先輩や上司の叱咤激励の中、お客さまに支えられてなんとかやっていた記憶があります。
銀行という看板を背負っているからかもしれませんが、とにかくお客さまがいることが心の支えでした。

そんな折、海外留学の社内公募にチャレンジし、1年間米国のビジネススクール(経営大学院)でMBA(経営学修士)を取得する機会を得ることができました。
当時の私は、海外のビジネススクールで学ぶには十分な英語力がなかったので、昼間は仕事をしながら、夜と週末に塾に通って、アリゾナのサンダーバードという大学院に入学することができました。
ビジネススクールを卒業した後は、ニューヨーク支店に転勤になりました。
1年間の下積みを経て、不動産ファイナンス部に支店内で異動。海外かつ不動産という入行当時の念願が叶いました。

ところが、現実はそう甘くありません。
不動産ファイナンス部では唯一の日本人派遣行員で、上司はハーバード卒の韓国系アメリカ人。不動産に関する知識も英語力もビジネスに耐えうるレベルとは言えない状況でしたが、「お前を一人前にする」という上司の下で、顧客交渉、弁護士への相談、東京の審査部との折衝含め全てをやりました。その時のお陰で英語での会話力は相当に鍛えられたと思います。
日本に戻ってからは、海外戦略の企画部門に配属されました。当時はアジア通貨危機の後、攻めに転じるところで、とても面白かったことを記憶しています。
その後、再び米国へ派遣される予定だったところ、不動産ファイナンスへの思いをどうしても断ち切れず、気づいたら国内不動産ファイナンス部の社内公募に応募していました。そこから国内外の不動産ファイナンスに8年ぐらい、海外の企画部門に4年半ぐらい、それぞれ携わり、「いつかもう一度海外で勤務したい」と思っていた頃に、ドーハ出張所長の話を頂いて、赴任しました。

◆ドーハでは、どのようなお仕事をされているのですか。

私どもの銀行がドーハに出張所を開設したのは2009年で、私は2代目の所長となります。海外の出張所長とは、カントリーマネージャーで、よく言えば民間外交官といえるものです。
出張所内のコミュニケーションは、所長として会議の議事も、節目の講話も、全て英語です。ニューヨークに駐在していた頃に、英語で孤軍奮闘した経験が生かされています。

カタールの旧宗主国がイギリスだということもあり、当地のお客さまとのビジネスも、英語で進められます。
歴史的な経緯のみならず、現在でも欧州との結びつきが強いために、カタール人の英語力は総じて高く、フランス語が堪能な方も少なくありません。

ドーハ出張所の主な業務は、カタールの政府系企業を中心とする非日系のお客さまに対するマーケティングです。
現在提供しているのは、プロジェクトファイナンス、コーポレートファイナンス、貿易金融で、今後はアセットファイナンス、アセットマネジメント、イスラム金融などに対象プロダクトが広げようとしています。残念ながら、私が得意とする不動産ファイナンス業務は行っていませんが、業務の基本は同じです。

◆カタールをはじめとする中東は一般の日本人にとっては、あまり縁がありませんが、現地の方々には、日本はどのように映っているのでしょうか。

私から見ると、アラブ人の日本に対する信頼、尊敬の度合いは、総じて高いのではないかと感じます。

特にカタールは、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)と異なり、1997年に日本がLNG(液化天然ガス)を購入するまでは、それほど豊かな国ではありませんでした。
そのために、初めてLNGを購入してくれた日本に対して、カタールの人は感謝の気持ちを今も持っています。
例えば、東日本大震災の後には、最初に1億ドルのフレンドリー基金を携えて、カタールの副首相がいらっしゃいました。今でもこのカタール・フレンドリー基金は震災復興の為に使われています。
また、日本が電力危機に陥った時に、足元を見て高値で交渉する国がいる中で、これまでと同様の条件でLNGの供給を増やすことを約束してくれたのも、カタールです。

私自身がそうだったように、カタールについての印象が、20年前の「ドーハの悲劇」で止まっている日本人が多いのも事実でしょう。
しかし、日本のエネルギー政策は、中東なくしてはあり得ません。
その一翼を担うのが、LNGで最大の輸入先であるカタールです。日本のリーディングバンクとして、カントリーマネージャーを置いている理由は、このような点にあります。
現在、カタールに進出している日本企業は30社程度です。その他の多くの日系企業は隣国UAEのドバイに中東統括拠点を置き、出張ベースで対応されているようです。
しかし、近年は中東第二の拠点として注目が集まってきています。その背景には2022年にはFIFAワールドカップの開催予定地になっていることや、中東の中でも特に治安が良く、湾岸諸国の政治的なイベントもしばしば開催されていることなどもあるように思います。

◆大学時代の過ごし方などについて、後輩の皆さんにアドバイスをいただきたいと思います。

大学時代にやっておくとよいと今から思うことは、まず英語、それもビジネスで通用するような高いレベルです。
欲を言えば、あともう一言語を習得しておくとよいでしょう。
外国語の習得に関しては、日本人同士で比べていてはダメで、ライバルは世界の同世代です。世界の人々は、もっとハングリーです。

二つ目に、人とは違う経験を積極的にして下さい。
興味は人それぞれでしょうから、「これでなければ駄目」というものはありません。
ただ、大学での4年間はあっという間なので、どうしても見つからなければ、生け花、茶道、折り紙道などの伝統的なものから、武道や楽器などアクションのあるもの、日本の料理、日本の映画やアニメの研究など、何か日本的なものを一つ極めることをでもいいかもしれません。

母国を大切に思うことは、海外の方と付き合う上でも大切な態度だと思います。
その一方で、世界史の知識も大切です。
私は、日本史を受験で選択しましたが、今になって世界史を勉強し始めたところです。

最後に、日本語の文章力を鍛える努力です。
社会に出れば、特にネット社会といわれる今日では、文章で人に伝え、説得できる能力は武器になります。
私の場合、学生の頃とは比較にならないほど多くの時間を費やして、会社で文章を書いています。そのために、判り易い文章を書く力や分析するための力は、ゼミなどを通じて徹底的に鍛える必要があります。

一橋大学の卒業生を中心とするネットワークは、素晴らしいと思います。そのネットワークに助けられて成長した後には、自分も貢献できるようになるのが、理想でしょう。
また、海外で仕事をすることだけが、グローバルな仕事ではありません。日本に来てくださる外国の方々とも渡り合える力が必要だと思います。

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iseda2伊勢田兼之(いせだ・かねゆき)さん

東京都立富士高等学校卒。1990年3月に一橋大学商学部を卒業し、同年4月に三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。都内支店勤務を皮切りに、アメリカ国際経営大学院(現・サンダーバード国際経営大学院)派遣、ニューヨーク支店、三菱UFJ証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)などを経て、2013年2月から三菱東京UFJ銀行ドーハ出張所長。

(2015年1月27日)