タマサート大学ビジネススクール講師 パトナリ・スリスパオラン氏

変わる勇気、変える勇気

2014/04/09

一橋大学の商学部、そして大学院には、世界から留学生が集まってきます。ここで学んだ留学生が、世界各地で活躍し、また、若者を一橋に結び付けてくれます。パトナリ・スリスパオラン氏は、タイからの留学生として一橋大学で博士号を取得し、現在は名門タマサート大学ビジネススクールで教鞭を取っています。学生たちを連れてキャンパス訪問をしてくれた彼女に、インタビューをさせてもらいました。
(聞き手:商学研究科准教授の山下裕子)

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タイの日本企業に就職後、一橋大学への留学を決意

山下 パトナリさんは日本企業で働かれてから一橋大学に留学され、現在はタイのタマサート大学ビジネススクールで教鞭をとられていますね。国際ビジネスというご自身のテーマを決められたきっかけはどのよ うなことだったのですか。
パトナリ ビジネスに関心を持った原点は、祖父と父の生き方を間近に見てきたことだと思います。祖父は戦争の時代に日本軍の徴用を逃れるため、17歳で単身、広東に家族を残しタイへやってきました。中国では比較的裕福な暮らしをしていたようですが、タイでの生活は一労働者として始めたと聞いています。ある日祖母が子どもを連れて、祖父のもとを訪れました。
ちょうどそのときに、中国は共産党が政権を取り、祖母も中国に帰れなくなり、家族はそのままタイに残ったと聞いています。祖父は「成功するためには一生懸命働くこと」だと考える人でしたし、父もそうです。
父は店舗を経営していたのですが、毎日深夜まで働いていました。そうした家族の姿が私に影響を与えたのだと思います。

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山下 カレッジで商学を学び、将来的にはお父様を手伝おうと思われたのですね。実学系の学校だったのですか。
パトナリ はい、そうです。卒業後、タイの三菱系企業に就職しました。正直に言いますと、10代の頃は日本企業に対してどちらかというとネガティブなイメージを持っていました。当時は日本企業のタイ進出が盛んな時期でしたから、日本企業がタイ経済を席巻しているような印象もあったのです。その背景を理解するには若すぎたんですね。それから、日本企業ではなぜ男女で雇用機会が異なるのかといった疑問もありました。
日本に対する印象が変わったのは、一橋大学に留学してからです。大学では、先生をはじめ先輩や同級生たちがとても温かく接してくださいました。ホストファミリーにもお世話になりました。そのほかにも日本にきて始めた生け花の先生、お茶の先生たちも本当に優しくて。学習面でも生活面でも感謝の気持ちで一杯です。
山下 ご家族に反対されませんでしたか。
パトナリ 父は手放したくなかったようです(笑)。しかし、「これからはアジアの時代だ」というのが父の考えでしたから、日本で学ぶならと許してくれました。

苦悩の末に行きついた、ゼミ的な教育

山下 10年くらい前だったでしょうか、パトナリさんにお会いしたことがありましたね。実はそのとき、学生時代とすごく印象が変わっていたので驚いたのです。すごく、堂々としていました(笑)。
パトナリ そんなに変わっていましたか(笑)?
山下 私の印象では、大学院生時代のパトナリさんは、生真面目で実直でおとなしいイメージでした。それが、いいところを保ちつつ、眼がきらきらとして自信にあふれ、とても逞しくなっていた。自分の道を歩んでいる確信のようなものも伝わってきました。素敵だなーと思いましたよ!
パトナリ ありがとうございます。私が変わったとすれば、一橋大学で学んだことと、その後、研究者になって、大学で学生を相手に教えて、私なりに試行錯誤があったからだと思います。しかしそれ以上に、タイに帰国してリバース・カルチャーショックを受け、どうすべきか深く考えるようになったからではないでしょうか。
山下 具体的にはどういうことですか?
パトナリ 私自身に関していえば、「こうあらねばならない」という考え方を捨て、もっと柔軟に考えられるようになったことが大きいと思います。その道筋をつけてくれたのが、タイに戻ってから学び直した仏教の教えではないでしょうか。
仏教の教えというのは、固定的なものなどなく「すべては変わるもの」。たとえば、タイの社会はニューハーフに対する許容度が高いといわれていますが、姿や形にかかわりなく「人は人である」という意識が根底にあるからなのです。
山下 そういう柔らかな考え方は、素敵だと思いますね。しかしそういう柔軟性が、ある意味、タイでの国際ビジネスを難しくしているという意見もありますが......。
パトナリ 外国人にとっては、多少の違和感があるかもしれませんね......。しかし、1997年
のアジア通貨危機以降、タイの社会は変わりつつあります。潜在的な諸問題も顕在化し、解決を図ろうという流れもあります。
国の経済的発展のために基礎となる部分をしっかりサポートしていこうという動きも出てきています。
山下 タマサート大学をはじめビジネス スクールの役割も重要になってきますね。
パトナリ タマサート大学ビジネススクールの教育スタッフには、海外経験者が多いのです。実学だけではなく、その背景にある考え方や理論を学生に教えていこうというフィロソフィーを共有できていると思います。そこで、自信を持って私が提案できたのが、一橋大学のゼミ制度でした。こんなにいい制度はないという信念があったから、積極的に提案し、徐々にティーチングに取り入れるよう働きかけてきましたが、それがとても好調なのです。そのことも仕事の手ごたえにつながっていると思います。一橋大学のゼミで得たヒントを活かし、学生をしっかり育てていきたいと思っています。

ジェンダーフリーが根づいているタイの社会

hq35_42-2-206x300.jpg山下 この数年、商学部ではタマサート大学の学生の短期訪問を受け入れていますが、来る人はほとんどが女性。首相も今は女性ですね。女性パワーの強いアジアのなかでもタイはとびきりで、世界一強いと評判です(笑)。タイでは、社会進出やキャリアアップの機会に性差はないのでしょうか。
パトナリ タイの社会では伝統的に、ジェンダー(社会的性別)によるバリアはないですね。タマサート大学でも、日本で学びたいという女子学生が増えています。1人の給料だけでは大変という現実的な理由もありますが、仕事を持ちつづける女性はとても多いのです。ある程度以上の階層ですと、家事を受け持つメイドさんがいますし。タイでは結婚すると男性が女性の家へ行くのが普通なのです。
山下 働く女性への社会的なサポートシステムに乏しい日本からすると、一方で羨ましく思えますが、ジェンダーよりも社会階層の方が社会的分業への影響が大きいということですね。私はアジア市場のマーケティング調査をしていますが、アジアとひとくくりにはできない、国による違いはまだまだあります。
それでも、そのなかで、日本とタイとインドネシアは似ているんですね。そのような意味からも、タイには注目していますし、これからも交流を深めていきたいと思っています。
パトナリ タイで教職にある者としても、一橋大学のOGとしてもまったく同感です(笑)。そういえば、先日山下先生が声をかけてくださったテキスタイル産業に関する共同研究の件、ぜひ実現させたいですね。
今後ともよろしくお願いいたします。

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f3f00329b14453edfa1aed898562dd75-196x300.jpg パトナリ・スリスパオラン(Patnaree Srisuphaolarn)
タマサート大学ビジネススクール講師。
2001年一橋大学商学研究科修士号、2004年同大にて博士号取得。
その後、大韓民国、建国大学校にてリサーチフェローとして勤務後、同大講師に就任。
2006年、タイに帰国、カセートサート大学講師を経て、
2009年タマサート大学ビジネススクール講師に就任。現在に至る。

※この談話はHitotsubashi Quarterly (HQ)Vol.35 2012年「夏号」より転載をさせていただきました。
http://www.hit-u.ac.jp/hq/vol035/index.html (記事投稿2014年4月9日)