楽天株式会社 三木谷浩史社長 × 商学部長 三隅隆司

楽天創業に至る自由な発想は一橋のキャンパスで育まれた

2014/12/01

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連載シリーズ「活躍する卒業生」では、一橋大学商学部を卒業した先輩に、大学時代の思い出や現在のお仕事、在学生へのメッセージなどを伺います。先輩の経験談に自分を重ねてみたり、新たな目標を見つけたり。今回はその特別編として、楽天株式会社の創業者であり、現在、同社代表取締役会長兼社長の三木谷浩史さんにご登場いただき、対談としてお届けします。

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<前編>

自由な校風にあこがれて一橋を選んだ

三隅 三木谷さんは一橋大学商学部の金融論ゼミ(花輪俊哉ゼミ)の出身で、私が修士の大学院生だったときに学部生という間柄ですね。今日はお忙しい中、時間を作っていただきありがとうございます。学生時代の経験が三木谷さんの「今」にどのようにつながっているのかを中心に、お聞きしていきたいと思います。さっそくですが、一橋大学商学部を選んだ理由を教えてください。

三木谷 母方の祖父が一橋(当時の東京商科大学)出身で、一橋の学長をされた中山伊知郎先生と同期でした。また、父・三木谷良一は神戸大学経済学部の教授だったのですが、ご承知の通り神戸大は「三商大」(一橋大学・神戸大学・大阪市立大学)の一角です。一橋のリベラルな校風については父から聞いていましたから、それに惹かれた、というのが一橋に決めた最大の理由ですね。商学部に行くか経済学部に行くかで迷ったのですが、「金融論」が商学部にあるという父からのインプットもあり、商学部を選びました。

三隅 なるほど、それで商学部を選ばれたわけですね。実際に一橋大学に入ってみていかがでしたか?

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三木谷 本当に自由で、まさしくリベラルを地でいく感じでした。自由に議論ができて、いろいろな科目が取れて、そういった意味で、一橋は自分に非常に向いていたと思います。東京都内ではあるけれど、都心より圧倒的に環境がいいので、キャンパスの雰囲気も気に入っていました。

三隅 そして、3年次に金融論の花輪ゼミに進まれた。

三木谷 ゼミは楽しかったですよね。同学年のメンバーとのディスカッションや、三隅先生たち院生との交流も非常に知的で、刺激的でした。卒論は「企業の資金調達と資本の最適構成」というタイトルで書きました。いま考えても意外にいいところを突いていたんじゃないかと思います。

三隅 大学時代にゼミ以外で印象に残っていることは、やはりクラブですか? 体育会硬式テニス部で、主将を務めておられた。

三木谷 はい。クラブ活動も一生懸命やっていましたので、クラブ関連では本当に涙と笑いの物語がたくさんあります。

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三隅 主将として、恐れられていたんじゃないですか。花輪ゼミにいたテニス部のメンバー、同輩や後輩たちは、ゼミであなたのそばに近づかなかった(笑)。

三木谷 ええ、「鬼のキャプテン」と言われてましたから(笑)。

三隅 印象に残っているのは、三木谷さんはご自分が人一倍練習をして、だからみんなも一緒に頑張ろう、というスタンスでやっておられたこと。その姿を今でも思い出します。会社を創業されて以後も、そういうスタンスでみんなを引っ張っていっているのではないかと想像しています。

三木谷 確かに、自分のマネジメントスタイルや哲学の原型は、テニス部の主将時代につくられたと思います。当時、一橋の体育会は基本的に自治でしたので、主将が社長みたいな役割なんですよね。僕の頃は部員が100人くらいいましたので、100人の中小企業の社長のような感じです。財政的な運営から、チームの強化策、練習スケジュール、施設のマネジメントに至るまで、主将が全部責任を持っている。会社との違いは、利益を出さなくてよかったことくらいでしょうか(笑)。

アントレプレナーという言葉を知らずにビジネススクールへ

三隅 ハーバードの留学時代のことを伺いたいと思います。三木谷さんは1988 年に卒業後、日本興業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)に入行。その後ハーバードのビジネススクールに行って、1993年にMBAを取得された。ハーバード・ビジネススクールを選んだのはどんな理由からですか。

三木谷 ビジネススクールはアカデミズムが半分で、あとは実践的な、いわゆるビジネスリーダーとしてのトレーニングという部分があります。ビジネススクールの中でもハーバードは教育方針がケーススタディ中心である点に惹かれました。今は、ケーススタディ・オンリーからプロジェクト重視へと変わってきていますが。どちらかというと僕は教科書で勉強するのは苦手で、一橋のゼミでもやっていたように、ディスカッションしたり、ディベートしたりしながら考えていくスタイルが得意です。

三隅 ハーバードの、教師と学生との間の双方向の授業はかなり衝撃的でしたか?

三木谷 そうですね。通常の授業においてもディスカッションやディベートを通じて、知識ではなく「考える力」をつけていくという方法論が非常に印象的でしたね。

三隅 授業以外で驚いたことや感動したことはありましたか。

三木谷 ビジネススクール時代に最もカルチャーショックを受けたのは、「アントレプレナーシップ(Entrepreneurship: 起業家精神)」の位置づけの日本との違いです。「大企業という枠組みの中で考えるのではなくて、どうやってアントレプレナーシップを持って新しいことを始め、イノベーションを起こしていくのかが一番重要」という考え方に出会って、衝撃を受けました。

三隅 師も学生も、皆がそういう考え方だった?

三木谷 ええ。アントレプレナーが経済を支えていくんだ、国を支えていくんだ、と。そうした考えが大勢を占めていました。

三隅 当時の、日本興業銀行(興銀)という、日本の大企業の代名詞みたいなところにおられた立場からすると......。

三木谷 実は、アントレプレナーシップという言葉を知らないでビジネススクールに行ったんですよ(笑)。日本ではその当時ベンチャーという言葉はあったけれども、アントレプレナーはまだほとんど知られていなかった。

地位や名声、権威にこだわらないことがアントレプレナーの条件

三隅 ハーバードでアントレプレナーシップに生身で触れる中で、帰国したら自分で何か事業を興したい気持ちが芽生えてきたという感じですか。

三木谷 会社から社費留学で行かせていただいていたものですから、いきなり帰って起業というのはやっぱり無理だなと思っていましたが、「いつか起業」と考えるとわくわくしてきました。絶対に起業するぞ、ではなくて、「いずれ起業して自分でやってみるという選択肢もあるのかな」くらいの感じでした。

三隅 日本に帰ってから、興銀ではどんな仕事を?

三木谷 企業金融開発部という部署でM&Aのアドバイザーの仕事をしました。そのときの一番大きなお客様がソフトバンク創業者の孫正義さん。あるいはベネッセコーポレーション社長(当時)の福武總一郎さんや、パソナグループ創業者の南部靖之さんが、私の担当のお客様だったんですよ。なぜかアントレプレナーばかり。そういう方たちからも刺激を受けました。そんなこともあって、自分でやってみたいという気持ちが募っていって、阪神・淡路大震災をきっかけに、1996年に起業しました。楽天市場を開設したのはその翌年です。

三隅 興銀を辞めたときに、ずいぶん思い切ったことをしたと言われたのではないですか。当然、不安はあったと思うのですが、やはりチャレンジしたいという気持ちの方が強かったということですか。

三木谷 起業したことについて、皆さんは「リスクを取った」と言うのですが、僕自身は実は、あまりリスクを取ったという気はないんです。ビジネススクールを出ていますから、どこかの企業に入って働こうと思えば、いつでも働ける。少なくとも、食べていけなくなるということはない。どちらかというと、起業する上で大事なのは「自分の地位や名声、権威といったものにこだわらない」ということではないでしょうか。実際、そういう性格の人が、アントレプレナーのほとんどだと思うんですよ。

三隅 その性格は後天的につくられるものではないかもしれない、と?

三木谷 後天的にもつくられるかもしれません。なんと言うんでしょうね、現状の地位とか名声、あるいは権威、威厳といったものに対してほとんど意味と価値を見出さない人たちが、やはり本当に破壊的なイノベーションを起こしていくのだと思います。

<後編はこちらへ>

(2014年12月1日)

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mikitani4-200x300.jpg三木谷浩史(みきたに・ひろし)さん 1965年神戸市生まれ。1988年に一橋大学商学部卒業後、日本興業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)に入行。1993年にハーバード大学にてMBA取得。日本興業銀行を退職後、1996年にクリムゾングループを設立。1997年2月、株式会社エム・ディー・エム(現・楽天株式会社)設立、代表取締役社長就任。同年5月、インターネット・ショッピングモール「楽天市場」を開設。2000年には日本証券業協会へ株式を店頭登録(ジャスダック上場)。2004年にJリーグ・ヴィッセル神戸のオーナーに就任。同年、50年ぶりの新規球団(東北楽天ゴールデンイーグルス)誕生となるプロ野球界に参入し、オーナーに就任。2011年より東京フィルハーモニー交響楽団理事長も務める。現在、楽天株式会社代表取締役会長兼社長。近著に『楽天流』。

misumi4-200x300.jpg 三隅隆司(みすみ・たかし) 1985年に一橋大学商学部を卒業、1990年に同大学大学院商学研究科博士後期課程を単位取得退学。同大学商学部専任講師・助教授を経て,2004年より一橋大学大学院商学研究科教授。2013年1月より商学研究科長・商学部長。2013年1月より商学研究科長・商学部長。1998年から1999年までミシガン大学ビジネススクール客員研究員。 専門は金融システム論および行動ファイナンス。人間が持つさまざまなバイアスを考慮する行動ファイナンスの観点から、金融システムの機能分析および制度設計について研究している。