三菱商事 ゾリグト ホンゴル氏

モンゴルとのかかわりを持ちながら、もっと大きなステージで活躍したい

2013/04/09

2008年卒業、現在三菱商事にお勤めのゾリグト・ホンゴルさんをご紹介します。

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三菱商事
業務部欧阿中東CIS室CIS担当
ゾリグト ホンゴル氏
2008年商学部卒

母国モンゴルの発展に寄与したい。 こうした志を持って先輩とともにコンサルタント企業を起業し、一つの事業に携わっていたゾリグトさんには、不思議な運命が待っていた。
大企業との出合い。それが、さらに大きく飛躍するきっかけとなったのである。

民主化進むモンゴルで
数学の俊英として頭角を現す

1989年ペレストロイカ推進を要求する集会に端を発して、モンゴルの民主化運動が始まった。1992年2月の新憲法発布で、民主化を実現。同時にモンゴルは、市場経済化をスタートさせた。それは、ゾリグト・ホンゴルさんが、小学校に上がったばかりのことだった。民主化が進むなかでゾリグトさんは、数学で頭角を現してきた。当時、モンゴルでいう8年生 (中4) 卒業時に国内の数学大会で銅メダルを取り、高校卒業時 (高2) にも銅メダルを獲得した。さらに、大学時の2001年にはモンゴル代表として、国際数学オリンピックにも参加した。
「もともと自分は理系頭です。中学校時代からウランバートルで理系の学校に進み、1日
10時間は数学を勉強していました。高校を卒業したときに国内の数学大会でメダルを取っていたものですから、国内のどの大学でも試験なしに入ることができました」

モンゴルが市場経済に転換してから期間はまだ浅かったため、高校卒業の2000年ごろは、経済学部や法学部などの社会科学系の学部の人気が高かった。
「両親からは、せっかく好きな学部に行けるのだから経済学部に進学したらどうかと言われました。しかし、高校の先輩には、日本に留学している人が数多くいましたので、自分も日本に留学したいと考えたのです」

日本語を学びながら、
志望大学を検討
進学先を一橋大学に決める

来日すると、文部科学省の奨学金により1年間東京外国語大学留学生日本語教育センターで日本語の勉強をした。
「正直言えば、モンゴル時代は一橋大学のことは知りませんでした。」

ではなぜ、一橋大学を選んだのか。ゾリグトさんは、日本語学校時代の1年間に、自分の将来と、将来に必要な学問について考えた。モンゴル人の先輩や周りの日本人のアドバイスを聞きながら志望先を固めていったのである。
「よく言われたのが、日本でビジネスマンを目指すなら一橋大学だ、ということでした。私は、ゆくゆくは起業しようと考えていましたから、商学部に興味を持ちました。私が起業を考えていたのは、ビジネスという側面から、モンゴルの発展に貢献したいと漠然と思っていたからでした。ただ、具体的に何をやるかまでは、考えていませんでした」

国別ランキングで上位のモンゴル人留学生数

1年次には留学生向けの日本語の授業を受けた。それでも入学したばかりのころは、専門的な内容が難しく、日本語でかなり苦労した。
当時のモンゴル人学生は、ゾリグトさんを含めて同学年に3人、1学年上級に6人、その上に3人、その上に3人だった。モンゴルの人口は少ないが、文科省が発表する留学生の国別ランキングを見ると、常時10~11位ぐらいと上位にある。
「モンゴル人学生のなかには欧米留学を希望する人も多いのですが、もともと親日国であり、文科省の奨学金制度があるために、7〜8割の学生は、日本への留学を希望しています。日本への留学生数も現在では1200人を超えています。一橋大学にも30人以上の留学生がいます。なお、学部には留学生枠がありますが、大学院にはありません。大学院進学については、日本人の学生と同じ条件で受験しなければなりません。それでも他大学に行ったモンゴル人の学生のなかで一橋大学は人気があって、後輩たちが大学院に数多く入っています」

在日モンゴル留学生会で日モを結ぶ活動を展開

一橋大学に対するゾリグトさんの印象はきわめてよかった。
「学生数が少ない大学ということもあり、教えることに対しては徹底しています。とりわけグローバルに活躍する人材育成では素晴らしいものがあります。また、モンゴルでは街のなかにキャンパスがありますが、国立の緑豊かなキャンパスで勉強できるのがよかったですね。3年次に選択した松井ゼミでの活発な議論で、けっこう叩かれたことも印象に残っています」
そんなゾリグトさんも、後悔していることがある。それは、大学時代に部活をやらなかったことである。
「私は、どちらかというと人見知りのほうで、コミュニケーション能力が不足していると自覚しています。」
このように言うゾリグトさんだが、課外では大いに活躍した。在日モンゴル留学生会の活動を行っていたのである。
「大きな行事としては年1回、練馬区光が丘でモンゴル春祭りを行っています。駐日モンゴル大使館や外務省や練馬区の後援です。 ウランバートルでは7月にナーダムがあり、モンゴル相撲や競馬、弓射大会などを行います。それにならって、年1回集まってお祭りをやろうということです。春祭りでは、モンゴル相撲もやりますから、当時の横綱 朝青龍や白鵬などの力士も参加してくれました」

ミイラ取りがミイラになるーそんな結末が待っていた

大学を卒業して就職したのは、モンゴル人の先輩たちが起こしたIT企業だった。その会社に就職したのは、「ゆくゆくは起業したい」というゾリグトさんの夢を、社長が応援すると言ってくれたからである。ところが、リーマンショックの影響で業績が厳しくなり、ゾリグトさんは、2009年8月には同社を退社することになる。約1年半の勤務だった。

その後先輩とともに、日本でコンサルティングの会社を起こした。日本企業のモンゴル進出支援やモンゴル事業への支援を行う会社である。モンゴルにも子会社を設立している。
ゾリグトさんと三菱商事との最初の出合いは、一つの新聞記事だった。
「2009年の年末に三菱商事がモンゴルに進出するという記事が日本経済新聞に載りました。それを見て、その仕事を手伝えないかとアプローチしました。それから約3か月、ウランバートル事務所の開設を手伝うことになったのです」
その業務のなかには人材の確保もあった。
「人材採用条件は、日本語ができること。しかし、それはかなりハードルの高いことでした」
困っているゾリグトさんに、先輩である社長が、こう切り出した。 「きみを送り出すことにするよ」

「ビックリしました。同時に考えるところもありました。起業しましたが、中小企業では資金面や人材確保の面で、制約が多い。夢や自分のやりたいことを実現する近道は何かと考えると、心が動きました」
三菱商事からも、 「ぜひきていただきたい」とのプロポーザルがあり、2010年4月からウランバートル事務所のナショナルスタッフとして入社することになった。

困窮生活のなかで妻との約束を果たす!?

「妻との出会いは、彼女の姉が日本に留学していたときです。本人はアメリカの大学院に進学する予定でした。夏休みに、日本にいた姉のところに遊びにきていたのです」
会社をつくったときは、生活的にも大変な時期だった。そんななかで結婚し子どもが生まれた。
「実は、大学卒業時に就職活動をしていました。そのとき感じたのは、大企業に入って歯車になってしまうより、自分の夢を追いかけたいということでした。しかし、社会の荒波を肌で感じるなかで、少しずつ考え方が変わってきました。現実が見えてきたのでしょうか。妻には、来年の4月まで我慢してくれれば、そのあとはなんとかすると約束しました。約束の締め切りが、2010年の4月。結果的には三菱商事に入ることになったのです」

20年後には大きな勢力になる日本留学組

「三菱商事に入る前は、モンゴルの発展に役立ちたいという気持ちがありました。しかし、今ではもっと視野が広がって世界的に活躍できる人材になりたいと考えるようになりました。モンゴルとのかかわりを持ちながら、もっと大きなステージで活躍したいと思うようになってきたのです。

モンゴルは民主化されてまだ21年です。日本で言えば戦後20年の高度成長が始まったころに似ていると思います。モンゴルにいると日々進歩が感じられます。そういう時代を担っていく世代として、後世に語れるような充実した人生を送りたいと思います。モンゴルとかかわりながら、もっとグローバルレベルの大きな仕事をしていきたいですね」

76人の国会議員のなかに日本留学経験者がすでに4人いる。
「日本への留学生が増えていますから、10~20年後には、日本留学組が大きな勢力となるでしょう。20年後には国を動かす力になると思います。
2010年は大統領と首相が来日しました。国会での大統領の演説では『これまでの20年間は日本政府がモンゴル政府を助けてくれた。これからはステップバイステップで互恵関係を築いていきたい』と強調しました。日本とモンゴルの間でウィン・ウィンの関係が築けるのではないかなと思っています」

今や第二の母国となった日本と一橋大学出身の誇り

最後に、一橋大学について、そして日本について伺った。
「一橋大学を卒業できたことを誇りに思っています。それは、長きにわたって日本の経済界を担ってきた人材を輩出し、現在も育成し続けている大学の卒業生になることができたからです。東大などで学んでいるモンゴルの友人たちの話を聞いた限りでは、一橋大学は、キャンパスの雰囲気が最も優れていると思います。それは、緑に囲まれたキャンパス自体の環境、国立という都心から外れた小さな学園都市というロケーション、そして小規模大学にもかかわらず立派な先生方が数多くおられること、学生どうしのつながり、気持ちの通い合い、学生と先生との距離の近さ、そして同窓会 (如水会) の存在もあります。 さらには、1年次から専門の授業が受講できること。
日本には、 来日以来お世話になっているホストファミリーとの付き合いもあります。今では、スポーツでも自然に日本代表を応援したりしています。私にとって、日本は第二の母国なのです」

Zorigt21-200x300.jpg ゾリグト ホンゴル◆(Zorigt Khongor)
1983年ウランバートル生まれ
2000年モンゴル国立大学数学科入学
2003年来日
2004年一橋大学商学部入学
2008年一橋大学商学部卒業、結婚
2009年バックフォース社設立
2010年三菱商事入社

※この記事はHitotsubashi Quarterly (HQ)Vol.33 2012年「冬号」より転載をさせていただきました。
http://www.hit-u.ac.jp/hq/vol033/index.html
(記事投稿2013年4月9日)