わたしの一冊 一橋大学教員のお薦めの本
第5回 岡本純也(経営管理研究科准教授)

2023/08/24

ノルベルト・エリアス/エリック・ダニング著(大平章訳)(1995)
『スポーツと文明化の過程―興奮の探究』法政大学出版

img_blog20230823_01.jpg

「スポーツはどうして世界中の人々の生活にここまで浸透したのか?」
本書はこのような問いに対して、人類史における長期的な心性の変化に着目する社会学的視点から答えを与えてくれる。

現代社会に生きるわれわれは、日頃、たとえスポーツがそれほど好きでなかったとしても、スポーツの情報に触れずに生きることは困難である。それほど、スポーツという文化はわれわれの生活に深く浸透している。そして、そのような状況はここ日本だけではなく、世界中の国で、地域によってスポーツの種類やその組み合わせはさまざまに異なるが、人々は仲間と汗を流すこと、大勢で応援することに夢中になる。なぜ、そのような世界ができあがったのか?

本書の著者の一人である社会学者、ノルベルト・エリアスは、「文明化の過程」の進行が「近代スポーツ」を創ったからだと説明する。他者に暴力をふるったり、欲望のままに衝動的に行動することを忌避するようになる心性の変化を「文明化」とエリアスは呼ぶが、文明化された社会に生きる人々は自己でそのような野蛮性を抑制し、内部に緊張を高めることになる。その緊張はため込むと秩序維持には危険な状態となるが、それを安全な形で解放する場として発明されたのが「近代スポーツ」だというのである。スポーツは「死人や怪我人を出さないようにしながら、文明化以前の闘いの興奮を味わえる場」として捉えることができ、文明化=近代化されたどんな社会においてもその秩序を維持するためにスポーツは不可欠な存在となる。

私は大学院でスポーツ社会学を学んでいる時にエリアスの理論に触れ、よくできた理論は世界で起きているさまざまな社会現象を説明することができるのだという感覚を初めて味わうことになった。エリアスはスポーツだけでなく、小説や演劇などの娯楽の多くが、文明化された社会(近代社会)において「興奮の探究の場」として発明されたことを指摘している。このような視角は、学部時代からの私の研究テーマである「祭り」や「踊り」をスポーツとの連続性でとらえる分析枠組みを与えてくれた。それと同時に、本書からは、スポーツや娯楽が国家などの「権力」とも関わるという視点も学ぶことができた。非日常の活動は社会の「ガス抜き栓」のように、政治的な不満を解消させたり、また、政治的意図を隠しながら多くの人々を一定の方向へ動かす力も持つ。

本書を読むと、スポーツへの熱狂を単純には楽しめなくなるだろう。しかしながら、スポーツや祭り、エンターテインメントの仕組みと社会との関係を考える、知的探究の世界を開いてくれると思われる。スポーツや文化に関する社会現象に関心を持つ方には、ぜひ読んでいただきたい一冊である。

ちなみに、私はフライングディスク(フリスビー)の授業も本学では担当している。ストレスがたまって「内圧」が高まった時にはグラウンドで思い切りディスクを投げ、一時の開放感の中でリフレッシュする。一緒にディスクを投げたい(リフレッシュしたい)方がいれば、私に声をかけていただきたい。