特別講演会「創造性を引き出す経営」ゲスト:株式会社バンダイナムコエンターテインメント取締役 兼 株式会社バンダイナムコスタジオ代表取締役社長 内山大輔氏

2024/08/19

去る7月3日、国立キャンパスにてMBA経営分析プログラム受講生を対象とした特別講演会が開催されました。今回はゲストとして、株式会社バンダイナムコエンターテインメント取締役 兼 株式会社バンダイナムコスタジオ代表取締役社長の内山大輔氏をお招きして、イノベーティブな集団を率いる経営者として、どのようなマネジメントを通じて創造性を引き出しているのかなど、ご自身のゲーム開発の経験も交えてご講演いただきました。当日は、MBA生や企画した野間幹晴教授と藤原雅俊教授だけでなく創造性に関心を持つ教員や商学部生も参加し、ご講演の後には活発な議論が行われました。

創造性を引き出す経営とは

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今回のテーマは「創造性を引き出す経営」についてです。ゲーム・エンターテインメントの世界は、創造性との向き合いです。本日は、私が実業の現場で経験してきたことの中から、皆さんへお伝えしたいと考えています。創造性とは、自分自身の創造性だけではなく、仲間や後輩、会社の創造性などが集まったうえで、業界全体に繋がっていくことがあるのではないかという経験談です。本の中とは違う、実業の中で起きている事例をさまざまなエピソードを交え、それによって気づいたこと、それがどこに繋がっていったのかなどを、いくつかピックアップしてお話しします。

私はゲームが好きだったので高校卒業後はゲームの専門学校で2年間学び、玩具などを展開するバンダイのゲーム部門に就職しました。家庭用ゲーム機、モバイルゲーム、アニメ・映画の製作、その営業など、パブリッシングのプロデューサーとして、何のゲームをどういうサイズ感、どこのマーケットに向けて、どういう風なスピード感で作って提供していくのが一番いいのか、企画立ち上げから最後まで、全ての業務を担っていました。売ること・届けることをクリエイターと一緒にやっていくプロデューサーですが、ゲームだけを作っているのではなくて、映画を作れと突然言われたりすることもありました。押井守監督作品で森博嗣氏の同名小説を映画化した長編アニメーション『スカイ・クロラ』に携わりながらゲームプロジェクトの立ち上げや、漫画家で映画監督の大友克洋氏やアニメーション監督で演出家の森田修平氏と一緒に『SHORT PEACE』も手掛けました。劇場版のアニメーションから、そのゲームを製作し、世界中に売りに行きましたね。

当時は、気合と根性で何とかなるという時代でもあり、何でもやらないと生きていけない時代でもありました。入社して1年目くらいのタイミングで、突然ドラゴンボールのゲームを作れと言われたこともありましたね。企画の立案から、開発チームとの調整、版権元監修、ゲーム雑誌の誌面取り交渉、画像映像撮影、TVCM制作、イベント出展、取り扱い説明書の制作、販売店へのポスター配り等々、すべての業務をこなし、1995年7月に『ドラゴンボールZ Ultimate Battle 22』を世に送り出しました。誰も教えてくれない環境で、短い時間で結果を出さなければならないというところに放り込まれました。今の令和の時代から見ると、こういった仕事の振り方はしないと思いますが、当時はすべてをこなすくらい密度を高くやらないと置いて行かれてしまうので、結果的に何でもやりました。この経験がなかったら、私自身ここにはいないのではないかと思います。ゲーム製作において、物事がどういう風に回っていくのか、ステークホルダーは何を考えているのかなど、担当領域の一端が少し理解できた1年間でした。

上司のかばん持ちの役目と共に、創造性を引き出してくれた

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入社5~6年目くらいになると、担当するゲームが売れ始めてきて、少しチャンスのつかみ方とコツが分かるようになってきました。いい意味で大先輩や上司の方から目を付けられて、業界の有名人との会食などに呼ばれるようになりましたね。例えば、漫画家の鳥山明さんや桂正和さんを発掘した週刊少年ジャンプの有名編集長、鳥嶋和彦さんです。私はジャンプ編集部に毎週お邪魔していたのですが、鳥嶋さんが当時とても厳しい人でしたので、なるべく目立たないようにしていましたが、会社の上司に言われて鳥嶋さんとの会食に来いと呼ばれるんです。それで恐る恐る行ったのですが、その場でいろんな話が決まりました。次あれをやろう、これをやろう、こういうプロジェクトを仕掛けて立ち上げていこうよと。私が話を聞きながらうなずいていると「あなたがそのゲームを作るんだよ」と言われるわけです。こうした大物との出会いというのは、若手レイヤーでは自らこういった機会を作り出すことができません。でも上司の方から若手にかばん持ちの役目と共にチャンスを与えてくれて、その時代のやり方で若手の創造性を引き出してくれていました。

違ったカルチャーとのぶつかり合いからの創造性

バンダイナムコは、2005年にバンダイとナムコというそれぞれ違ったカルチャーを持った会社が一緒になりました。2000人のナムコの社員の中に、バンダイのゲーム部門の50人が合流したのですが、非常に大変でした。共通言語が1つもないんです。「商品」、「売上」、「開発費」の定義も全く違い、当初はとてもシナジーを生み出せるような雰囲気ではありませんでした。同じ業界にいるのですが、違う文化が出会うということが、これほど大変なのかというのを切実に感じました。2000人の社員が「普通ですよ」と言っていることに対して、50人で「違いますよ」と変えられないんですね。違った文化の出会いが正の回転をしないで、負の回転をすると事業がうまく回らなくなるんです。このままではダメだと、もうバンダイでもナムコでもないんだと2010年ごろから会社も我々もパキッと切り替えました。一丸となって「IP軸戦略」に舵を切り、その頃から業績も上向き始め、経営統合当時に新人だったバンダイでもナムコでもない若手が、中堅として活躍し始めます。正の回転にいたるまで苦労をした結果、グループの事業としては非常に危機に強い事業ポートフォリオが組めるようになりました。創造性を生み出すためには、一旦は苦労があるものです。

こうして、ナムコだけではできなかったこと、バンダイだけでは持っていなかったものが補われ、例えばガンダムというIP(キャラクターなどの知的財産)を中心とした場合、ゲーム事業を展開するバンダイナムコエンターテインメント、ガンプラなどを展開するBANDAI SPIRITS、映像事業を展開するバンダイナムコフィルムワークス、アミューズメント施設を運営するバンダイナムコアミューズメントなどが一緒になることで、その出口が広がり、そこに事業ポートフォリオを組めるようになりました。直近では、フロム・ソフトウェアと共同開発した『ELDEN RING』というゲームが、世界累計出荷本数2500万本を突破するなど結果として、2023年度はグループ売上高1兆円を超えることができました。

世界へ―多様性から生まれる創造性

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バンダイナムコ エンターテインメントは、世界19の国と地域に海外拠点を構えています。ヨーロッパにも展開しており、フランスはリヨンにゲーム部門のヘッドオフィスを構えています。15年くらい前になりますが、3カ月間パリに滞在してヨーロッパの拠点を回りました。2009年にヨーロッパにディストリビューション機能を持ったほうが良いのではないか、ということで現地の流通企業を買収して、ヨーロッパ各地にブランチができました。ですが、現場ではマーケティングやプロモーションの実務の段階で作業事故が多発することになります。現地では新メンバーが大勢入社してきたのですが、既存のキャラクターの服の色をこっちの方がカッコいいからという理由で変えてしまったり、レイアウトの問題でポスターのメインビジュアルを左右反転したために、キャラクターの顔の傷も左右逆になったりと。日本の本社からは、それでは駄目だから現地のメンバーにキャラクターの取り扱いのやり方を伝えてこいと言われました。ですが、彼らとしては、前提知識が我々とは違っていましたし、彼らの当時のスキルの中では良かれと思ってやっていることで、これも解釈の仕方によっては多様性から生まれる創造性みたいなものだと思います。3カ月の滞在の中で現地のスタッフと密なコミュニケーションを取れたことで、彼らの真意も理解することができました。どうやったらこの地域で一番このゲームが売れるだろうかと、現地の文化の中でもっともカッコいいものを彼らは考えていたんだと分かりました。これは日本にいて、日本からの目線だけでは分からないし、短期の出張だったら現地で怒って終わっていたと思います。彼らが何を考えて、どういう角度からものを理解していたのかというのをほんの少しですが、日本にいる時よりは理解できました。

結果として、ヨーロッパの売上と利益は大幅に伸びています。そして今もなお、当時の「戦友たち」がヨーロッパの現場で頑張ってくれています。彼らにとっては、内山というかつての仲間が日本にいて、昔と違い割といろいろ物事を決める立場にいるので、まず「内山さんを通してから話をしてもらおう」という風にフロントにしてもらっていて、文化の壁を乗り越え、互いを尊重しながら話を聞いてくれるような関係性が生まれました。

新たな原石を見つけ出し、若手の創造性を引き出す

ゲーム開発には、時間も費用もとてつもなくかかるものです。開発期間は短くて3年、長ければ5年、6年とかかります。そうすると、若手が芽を出す機会はなかなか巡ってきません。ですが、そうだからと言って若手育成のために何年もかけて、数億円もかかる開発を担わせ、「失敗しました」と言わせるわけにはいきません。

これは業界としても課題ですが、この課題解決のためにバンダイナムコ スタジオでは、「小規模・高回転開発チャレンジ」というプログラムにより、スタートアップタイトルのレーベルを作っています。もっと手軽にゲームを作って、ある程度失敗しても構わないというスタンスで毎年1作品の小規模ゲームタイトルのリリースをしています。社内でキラキラし始めているような若手のディレクターに、予算を出すので1年間で好きなようにゲームを作ってくださいと、チャンスを与えています。これまではただひたすらにゲームが面白くなるようにと、クオリティを高めることに没頭し、ある意味専門性の高い業務の中に線を引きがちだった仕事をしていた若手の視野を広げて、新しいものを見出す創造性を引き出します。ですので、予算も小規模ですし思った通り行かなくてもいいんです。ただ、何を作ってもいいけれど、製品にするまでの工程を一通りやってもらい、ゲームを完成させるまで、マーケティングやビジネスプランまでのすべての業務を経験してもらっています。タイアップを取ってきて、キャンペーン、プラットフォーム側との交渉、契約、特許、商標、宣伝も含めて、全部やってゲームを完成させるという条件付きです。

言うなれば、私が若手時代に上司のかばん持ちをして学ばせてもらったように、今の時代の人に合わせてアジャストした、若手の創造性を引き出すというようなことです。限定された領域の中だけで仕事をしている後輩や部下がいたとしたら、その領域から横の世界と繋げてあげることも意識しています。今の仕事を一生懸命頑張っている人には、次のパートナーを見つけてあげるために、いろんな業界の人を紹介してあげたりもしています。後輩を育て、今度はまたその後輩が創造性を発揮して、新たなやり方をその先の未来に繋いでいく。こうすることで創造性を連綿と引き出し続けられるよう、日々の経営にあたっています。

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