2025/07/03
田島照久編訳(1990)
『エックハルト説教集』岩波文庫
中世キリスト教界の偉大な神学者にして実践者。「神は消える」と言い切る一見過激な(しかし最も敬虔な)言説から死後異端宣告されたものの、ドイツ神秘主義の源泉として欧州精神世界の底流に脈々と流れ続け、ハイデッガーやシュタイナーに至るまで深い影響を与え続けた「生の達人」。本書はそのマイスター・エックハルトの肉声に接することのできる珠玉の説教集です。
私は学部生時代から、河合隼雄先生の著作を通じてユング心理学、特にその心の構造の理論(仏教の唯識と驚くほど似ています)に関心を寄せていました。ある日、書店で本書を手に取った時、表紙でユングがエックハルトを評した「自由な精神の木に咲く最も美わしき花だ」という言葉を見て、直ちに購入しました。
読んで驚愕しました。私の座右の書である唐代の禅の巨匠の語録、『臨済録』(岩波文庫、1989)とあまりに同じことが語られていたからです。最高の真理を生きるためには「自由にしてとらわれなくあらねばならない」こと、神とは被造物(人間)との関係で現れるものにすぎず、その源泉には名もなくなんの働きもなさない「神性」があること、われわれはもともと神性とともにあったこと。これは臨済録ではないでしょうか。臨済録が豪放な盛唐の詩とすると、エックハルトは繊細な宋詞のようですが、語られている内容は本質的に共鳴しあっています。この類似性は多くの識者の注目を惹いていたことを、後になって知りました。例えば、上田閑照先生は、「禅とエックハルト」など多くの論文(『非神秘主義』岩波現代文庫(2008)所収)でその異同をつぶさに論じています。
私がエックハルトの説教を理解しているかと問われれば、臨済録同様に、否です。それでもこの本は勇気づけてくれますし、真理の一端に触れている高揚を感じます。なによりも、語り口が平易(かつ深遠)で、たとえようもなく美しいのです。エックハルトは誰にも理解してもらえなくても、教会の献金箱に向かってでも説教をしたにちがいないと言っています。この本に収められた22編の珠玉の説教を読んでいると、献金箱の傍らでエックハルトの肉声に触れているような、そんな気になります。
臨済録の名言「随所に主となれば、立処皆真なり」は多くの経営者の座右の銘となっていますが、本書も人間性を深く知るという意味で、経営者や実務家にこそ是非読んで欲しい本です(私のゼミでも冒頭の説教を学生に読んでもらっています)。
【Information】一橋大学附属図書館
田島照久編訳(1990)『エックハルト説教集』岩波文庫